「やっぱり家が一番いいね。」私の大好きだった祖母は家族に見守られながら、住み慣れた自宅で人生の最期を迎え、亡くなりました。長い病院での生活の時とは違い、祖母らしく毎日笑顔で穏やかに過ごす事が出来たのは、祖母を守る「チーム」の存在があったからだと思います。
祖母は入院当初からずっと「家に帰りたい。」と言っていましたが、高齢な祖母が家で一人で生活する事は困難で、家族も仕事をしていたり、充分なサポートが出来ない状況でした。病院からの紹介で、祖母を担当してくださるケアマネージャーさんが決定し、祖母の今後について家族を含め話し合いをしました。ケアマネージャーさんから、祖母が利用出来る「介護保険」について説明を受けました。
日本では、老化や疾病により介護の必要性が認定された方が利用出来る介護サービスがあり四十歳以上の国民が被保険者で介護保険料の支払い義務があります。皆が納めた保険料で要介護状態の方が食事・入浴など日常生活における介護サービスの利用が可能となります。このサービスを利用して、祖母は自宅でヘルパーさんに来てもらい、お風呂に入れてもらったり、食事を作ってもらう事が出来、安心した生活が送れる事となりました。自宅でリハビリを受けたり、ディサービスに通ったり、必要となれば介護ベットを借りて、看護師さんに訪問してもらうなど、祖母が最期に至るまでニーズに合わせたサービスを受ける事が出来ました。家族の思いを実現し、本人のQOLを向上出来る素晴しい仕組みだと思いました。
政府は医療費削減の目的で在宅での生活を、と推進しています。そして祖母のように自宅で最期を迎えたいという方は、六十歳以上の半数にものぼるようです。一方で二○二○年には六十五歳以上の高齢者の人口は三千六百万人と過去最多となり、要介護者の割合も増加しています。増え続ける費用を保険料で負担する事が困難になりつつあると思われます。
医療・介護にかかる費用を削減し、全ての国民が健康で文化的な老後を迎えられるようにする為には、近年政府が掲げている「フレイル予防」など、高齢になっても国民一人一人が健康への意識を高く持って、日々の生活を営む事が重要ではないかと思います。この素晴しい日本のシステムをもっとたくさんの人が知り、税を納める理解が深まれば良いなと思います。
「税」と聞いて、即座にポジティブなイメージのある言葉を思い浮かべる人は少ないだろうな、と思う。「負担」や「赤字」などが顕著だろうか。これらは税の説明をする上で欠かせない言葉でもある。税は保障などの形で困っている人を助けているので、思い浮かべる言葉はポジティブでも良いと思うのだが、と私は疑問に思った。
税が私たちを助けているにも関わらず、どこか良くないイメージが付いて離れない理由。私はある仮説を立てた。それは、納税の際や税が使われている際に使い道が見えないから、というものだ。具体的には、例えば買い物をする時。最近は表示方法が変更されたが、幼い頃に親の買い物に付いて行った私は、いつも「値札のところに高い値段と安い値段があるのはなぜだろう」と思っていた。当時は安い値段、つまりは税抜価格なのだが、そちらしか表示されていない商品もあり、レジへ支払いに行って数十円足りなかった時は混乱した。そして、幼い私は、この何だかよく分からない、お金を多く出さなければいけなくなる、「税」というものにマイナスなイメージを持つ。そしてこの税とやらが、何に使われているのか、支払いの際は全く見えなかった。
他にも使い道が見えないことがある。それは、その税の使い道に触れた時である。図書館へ行った時や、パトカーや救急車のサイレンが聞こえてきた時である。車の走る音と共にサイレンの音がした時などは、「いつも大変そうだな」と警察官や隊員の方々に思いを馳せることはあれど、「税金のおかげだな」と思うことはない。
これらのことは「税」というものに良いイメージを持っていない一つの理由であると思うが、同時に税によって提供されている公共サービスが当たり前に日常に溶け込んでいるとも言える。そして、そのサービスが重要な役割を果たせているということの証明だとも言えるだろう。だが、税があるから公共サービスが当たり前に利用できる、という関係性はとっさにイメージしにくい。
そういったことを常日頃から意識することは難しいが、私は市役所のパンフレットや、学校から税に関するプリントを貰ってきた時、改めて日常を支える税の大切さを実感する事がある。私は、その感覚を忘れずに、税によって提供されている当たり前に感謝しながら過ごしていきたい。